オクルストアのオリジナルブランド「shinateru-シナテル-」で展開している帆布のトートバッグには滋賀県高島市で織られている高島帆布を使用しています。
最近では帆布はバッグや服飾などのアパレル商品にも使われることが多くなり、直接消費者の目に触れることも増えてきました。
まだまだとはいえ認知度としてはここ数年でぐっと上がってきたという実感があります。
「高島帆布」という言葉自体を初めて耳にする方もいらっしゃるかと思います。
今回はものづくりをする地元企業、そして作り手として、高島帆布の歴史や特長を紹介しながら、独自の視点からの高島帆布の魅力を伝えていきたいと思います!
まずは「帆布」のおさらいから
高島帆布の紹介の前に「帆布」とは何か、というところからお話しします。
帆布とは綿や麻で織られた平織りの厚手の生地の総称をいいます。
帆布のほかにキャンバスやダック生地とも呼ばれ、その歴史は古代エジプトまでさかのぼることができます。
私たちがよく耳にする「帆布」の由来は読んで字の通り帆船の帆から来ています。
江戸時代後期に播州の工楽松右衛門が丈夫な帆船の帆専用の布を開発し、松衛門帆と名付けたのが近代における「帆布」の由来になったといわれています。
そして松衛門は自分だけの利益に走らずに広く製造方法を伝えたおかげで、帆布の製造方法が全国に広まり定着したとされています。
江戸時代から続く綿織物の産業が発展したのは特徴的な風土のおかげ?
滋賀県はほぼ中央に琵琶湖があり、その面積は滋賀県のおおよそ1/6を占めます。
高島帆布を生産している高島地域は滋賀の左上に位置し湖西と呼ばれています。
自然が豊かで風光明媚、そして冬になると一面銀世界になる滋賀でも有数の豪雪地帯です。
そんな高島地域で高島帆布や高島ちぢみの前身となった綿織物の生産が始まったのは今から約200年前といわれています。
湿潤な気候が綿花の栽培に適していたこと、冬場の閑農期の貴重な収入源として綿織物が織られ、京都や大阪の問屋に卸されていた記録が残っています。
その後、近代化が進むにつれて「高島ちぢみ」「高島帆布」「産業用資材としての織物」など多種多様な織物が開発され、現在は国内有数の織物の産地として発展しています。
>>高島ちぢみについて
高島帆布が丈夫な理由と琵琶湖の関係
高島のある滋賀の西側は山と琵琶湖の距離も近く湿気を含んだ空気が日本海側から入り込み、秋には「高島しぐれ」と呼ばれる雨がしばしば降ります。
高島は雨や雪が多く、年間の降水量が多い地域です。
また近くを流れる安曇川、街の用水路は湧き水であふれ年間を通して湿潤な気候風土が高島の特徴ともいえます。
そしてこの特徴的な気候風土こそが高島帆布をしなやかで丈夫にしてしているというのだから驚きです。
高島帆布の品質を高めているのが最新の設備や技術だけでなく高島の自然とはどういったことなのでしょうか。
高島では織物はもちろん、布にする前の撚糸(数本の糸を撚って一本の糸にする)業も盛んな地域です。
適度な湿度は糸を撚る工程で摩擦で切れるのを防いでくれます。
また織るときにも適度な湿度があることで繊維が強くなり、途中で切れにくく高い密度で織ることを可能にしているのです。
琵琶湖を取り巻く気候風土が高島帆布の品質の向上に一役買っており、年間通して湿潤な高島地域ははまさに繊維産業にぴったりな環境だといえるのです。
琵琶湖やそれらを取り巻く自然が高島帆布を育てていると言っても過言ではありません。
産業資材としての確かな品質を持つ高島帆布
高島市では現在約30社の機屋(はたや)があります。
そのうちの約10数社が高島ちぢみなどのアパレルや衣料商材を織り、20数社が産業資材と呼ばれる工業用の織物を織っています。
高島地域全体で見た場合、高島帆布を含む産業資材が売上の約7割を占めるそうです。
そして現在高島帆布を織っている機屋は5社ほどあるそうです。
産業資材と呼ばれる工業系の織物はトラックの幌、タイヤの基布、濾過用の布、研磨用布などを指し、私たちの生活を支える製品や建物の一部として使われています。
私たちも気づかないありとあらゆるところで高島帆布はじめ高島の生地が活躍しているのです。
我々の生活や命に直接係わる部分に使われているからこそ、安全と品質を保証するJIS規格という厳しい基準の下、高島帆布は生産されてきました。JIS規格は1997年に廃止となりましたが、高島地域では今でもその基準を守りながら帆布の製造をしています。
そして品質を守るという思いは現場で働く人々の共通認識でもあり、工場を見学させてもらうとその徹底した意識が高島帆布の品質を向上させていることを肌で感じることができます。
高い品質そのままにアパレル商材としても人気に
高島帆布は倉敷帆布のようにアパレル商材として名前を耳にすることは今まであまりなかったものの、最近ではでは産業資材として培った高い技術と品質そのままに、トートバッグなどで使うアパレル商材としての帆布も多く誕生しています。
様々な織り方や色、模様などバリエーションも増え、より消費者の近くにある素材になっています。
オクルストアの帆布のトートバッグにも他社にはない先染め帆布を使用しています。
工場に何度も足を運び、見本を見ながら何度もすり合わせてできた自慢の帆布です。
とても親身に実直に対応していただくその姿勢をみて、ものづくりへの情熱と誇りを感じました。
産地のバックアップの下できた「高島帆布 シナテルトートクラシック」「高島帆布 シナテルトートヴィンテージ」をぜひチェックしてくださいね。
シナテルトートのコレクション
シナテルトートクラシック
シナテルトートヴィンテージ
高島帆布 シナテルトートの詳しい情報
高島帆布 シナテルトートクラシックS
10,725円 (税込)
高島帆布 シナテルトートクラシックM
14,575円 (税込)
高島帆布 シナテルトートヴィンテージS
10,285円 (税込)
高島帆布 シナテルトートヴィンテージM
13,915円 (税込)
高島帆布に興味が湧いたらぜひ高島へ!
上記の話で高島帆布や高島に興味が湧いたらぜひ実際に足を運んでその土地の空気や文化に触れてみてください。その地域性が商品や製品を特長づけているので知れば知るほど商品に愛着がでるのではないでしょうか。
関西圏や中京圏であればおおよそ2時間くらいで高島へ。プチ旅行にもぴったりです。
織物のこと、歴史のことを事前に知ってると同じ景色でもまた違って見えるかもしれません。
白髭神社
関西圏から湖西道路を北上し、琵琶湖岸を北上すると高島市に入って最初の人気の見えてくるのは白鬚神社。鳥居がびわ湖の中に立っており、写真映えする人気のスポットです。
白鬚神社は、全国に約300社ほどある白鬚神社の総本社とされ、創建は今から2000年以上も前といわれる近江最古の神社です。御祭神猿田彦命で別名、白鬚明神や比良明神ともいわれています。鳥居がびわ湖の中にあるのは参拝する上で船が重要な交通手段であったから?と思っていましたが実は元々陸地にあったようで、琵琶湖の水位が上がったから今は琵琶湖の中に建っているそうです。
白髭神社を抜けて161号線が少し内陸に入ると安曇川の市内に入ります。「道の駅 藤樹の里あどがわ」がありここでは地元高島地域の地場の野菜や湖魚を使った惣菜、そして高島帆布のバッグや高島ちぢみの商品を購入することができます。ちなみに名前の由来は陽明学者の中江藤樹に由来しています。
針江地域のカバタ
安曇川を越えるとオクルストアがお世話になっている機屋が多く立ち並ぶ新旭に入ります。新旭には多くの繊維産業に関連する工場が立ち並んでいます。
また針江地域には「カバタ」と呼ばれる湧き水を利用した独自の地域システムが存在し、用水路と呼べるような家と家の間を流れる小川にも清らか水が滔々と流れており水の豊かな地域であることを物語っています。お世話になっている機屋の横を流れる側溝ですら透明度の高い清らかな水が流れ、ちいさな魚が泳いでいます。繊維業が栄えた要因の一つである湿潤な気候であることもうなずくことができます。
マキノのメタセコイヤ並木
高島市最北のマキノには四季折々の表情をみせてくれるメタセコイア並木があります。
旅の終わりにぜひ立ち寄っていただきたい滋賀を代表する観光スポットの一つです。
いかがでしたでしょうか。風光明媚で自然環境ゆたかな場所で高島帆布をはじめとする綿織物が生産されています。工場見学等させてくれる機屋さんはなかなかないのですが、高島の町(特に新旭)を歩くと、街のそこらじゅうに織物にまつわる大小の工場を見つけることができます。
機会があれば産地に訪れその土地の空気感を味わうのも商品の魅力を知る一つのきっかけになるかもしれませんね。
滋賀に来たらシナテルの帆布トートバッグを探してくださいね
オクルストアでは主にインターネットを中心に商品を販売していますが、滋賀県の一部の店舗様に「高島帆布のトートバッグ」を取り扱いいただいています。もし滋賀に遊びに来られた際はぜひ探していただけるとうれしいです。
・大津サービスエリア下り(名古屋方面から大阪方面へ)
下道からは行くことができないので大阪方面へ行かれる際に休憩スポットとしてお立ち寄りください
>>ショップの情報を見る
・琵琶湖博物館内ミュージアムショップ
〒525-0001 滋賀県草津市下物町1091 (レストラン、ミュージアムショップは無料で利用できます)
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・雄琴温泉 里湯昔話「雄山荘」
〒520-0101 滋賀県大津市雄琴1丁目9−28
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